<Lily of the valley-これは正しい事なのでしょうか>
ダアトを抜け出して、タルタロスに乗り込みグランコクマに向かおうかと話している中で、俺は一人離れ
た所でポツンと立っていた。それはやっぱり皆が俺の事はアウトオブ眼中って雰囲気があからさまだっ
たって事もあったし、これ以上場の空気を嫌なものにしたくないっていう俺の気持ちもあったりした。でも
突っ立っている俺は決して独りだって言う訳じゃなくて、足下には当たり前のようにミュウが居た。今じゃ
それをウザイとは思わずに、逆に有り難いと感じている。喋り方とか声は相変らずイラッとさせられる時
があるけど、少しだけ我慢していた。だけど俺の我慢が限界に来て勢い良く遠くへぶん投げちまう俺に、
ミュウはとてとてと走ってまた戻って来る。ホント、健気で馬鹿だよなぁコイツ。とか思いながらミュウを見
てると、不意に声を掛けられた。誰かと思って顔を上げると、目の前にイオンが居た。イオンは口元に少
しだけ笑みを乗せて、少し良いですかと言ってきた。今まで俺に声を掛けてくる人が居なかったから、正
直戸惑った。それにアニスがじっとりした視線を向けてきていたから、断ろうとした。そしたらイオンは問
い掛けてきていたのに結局俺に有無を言わさずに強引に手を引っ張って何処かに行こうとする。足を縺
れさせながら後ろを歩く俺の手を引くイオンの力は思いの外強くて、そして温かかった。
「以前と、雰囲気が変わりましたね」
「・・・は?」
「尖っていた先が削られて、丸くなったような気がします」
「・・・・・・」
甲板に立って潮風に吹かれながら、イオンはミュウを腕に抱いて(逃げようとする俺へ人質だと言外に
告げられているような感じだった)真っ直ぐに俺を見据えながら静かに言った。
「皆のこと、意図的に避けているのですか?ルーク」
余りにも真摯な眼差しを向けてくるので、俺は居た堪れなくて視線を海原の方へと逃した。イオンは見て
いないようで、見てるんだなと実感した。ダアトからタルタロスまで移動している時に何となく視線を感じ
ていて、それは多分ガイだろう何て予想していた。まさかイオンだったとは意外だったな。あ、そういやこ
っちの世界に来てから誰かと二人きりで話すのはイオンで三人目だっけ。あれ、四人目か。なんて俺が
思考をあらぬ方へ飛ばしていると、イオンが少し痺れを切らしたみたいに俺の名を呼んだ。俺は広大に
広がっている青から視線を外して、深緑色の双眸を静かに見返した。イオンの瞳はとても透き通ってい
て、それが漣が広がったように揺れている。もう一度呟かれた俺の名を音に乗せたイオンの声は震えて
少しだけ掠れていた。
イオンは俺のことを心配してくれているのか。
やっぱりイオンはどこまでも優しいヤツなんだよな。
そんなイオンを死なせるわけにはいかない。絶対に。
そして俺は、優しいイオンにも縋ってはいけない。
「別に意図的になんか避けてねーよ。てか、お前らが俺のことを避けてんだろーが。違うか?」
ったく。あーうぜ、気だるげに俺が言うと、イオンが傷付いた目をした。「あ・・・」反射的に口が謝罪の言
葉を言おうとするのを必死に手で阻止する。そしたら思った以上にパチンと乾いた音が響いて、俺は口
元に手をやった姿勢で固まった。イオンは口を塞いだ俺の姿を見て目を丸くして、それからふふっと笑
った。わ、笑われた・・・。恥かしくて顔が一気に熱くなる。笑うなっ、て叫んだらイオンは笑いを堪えるよ
うに片手を口元に添えてすみません何て言ってくる。イオンの腕の中に居たミュウが「綺麗な音でしたの
ご主人様〜」「・・・うっせ、ブタザル!」「みゅうぅ」楽しそうにはしゃぐからイオンから奪い取るようにリング
を引っ掴んでそのまま振りかぶってぶん投げた。鳴き声が尾を引いて、やがて聞こえなくなる。ミュウが
居なくなってイオンの笑いも収まり、鼓膜に響くのは海原を突き進むタルタロスのエンジン音とそれを掻
き分けていく水の音と空をのんびり飛んで思い出したように鳴く海鳥たちの声。それを背景音にイオンは
俺を手招いて自分は手摺に手を置いて、海へ目を向けた。逡巡した後、俺もイオンの隣から海を見る。
海を見つめたままイオンがポツリと
「海って、綺麗ですよね」
俺は取り敢えずの相槌を打つ。
「・・・そうだな」
「空も・・・綺麗ですよね」
「・・・そうだな」
「でもそれ以上に・・・僕は、ルークの瞳が綺麗だと思います」
「・・・そうだ・・・」
ん?
「はぁ?おまっ、お前、何言ってんの?!」
「綺麗ですよ。ルークの瞳は」
いきなり突拍子も無いイオンの爆弾発言に俺は上ずった声を出してしまう。けれど投下者のイオンは至
って真面目な顔で、と言うかいつもの笑顔ではっきりときっぱりと言い切った。俺は言葉が続かなくて口
をパクパクさせていた。そしたらイオンは楽しそうに笑った。楽しそうに笑うイオンに俺は怒鳴る気も失せ
て、もう好きに言えよとがっくり項垂れた。ひとしきり笑ったイオンはでも、と言い出したので隣を見た。
俺の瞳の色よりも濃い緑をした瞳は深い深い感情を湛えているようだった。
「本当にそう思います。貴方の瞳は決して嘘をつかない。口から出る言葉は偽りのものであったとして
も、瞳は貴方の心を浮き彫りにしている」
「・・・・・・」
まるで何もかもを見抜いたような口調に俺の胸中がざわりと動く。僅かに目を見開いて俺は言葉もなく
深緑の瞳を見返す。イオンはさらに続けた。続けようとした。
「ルーク。貴方は、本当は―――」
「いい。止めろ、言うな」
それを俺は低く遮った。さっきまでの和やかな雰囲気はいつの間にか何処かへ吹っ飛んでしまい、今
この場に漂うのはピリピリした空気と緊張感。イオンが息を呑んで俺の名を呼ぶ。だけど今度は応えな
かった。感情を一切排除した声音で俺はイオンへ告げた。
「勘違いするなよ、イオン。俺は謝罪なんてする気は無い。俺は悪い事はしてなんだからな」
だから後悔なんてものもしていない。
俺はそれだけ言うとイオンに背を向けてタルタロスの中に入った。
扉が閉まる瞬間、ちらりと見たイオンの顔が悲しそうに歪められていたけど、気の所為だと自分に言い
聞かせた。
***************
甲板で俺がイオンと分かれて直ぐにタルタロスが故障したらしい。不穏な音を立てて一時停止したタル
タロスの通路を一人歩く。適当に選んだ部屋に入って、俺は簡易二段ベッドの下段に思い切りダイブし
た。屋敷のと比べて羽毛たっぷりのフカフカなんかじゃなくて、シーツを一枚敷いただけのようなベッド
だったから顔面から突っ込んだら結構痛かった。額と鼻頭がじんじん痛いけど、それよりも痛かったの
は胸だった。左手で胸を服の上から抑え付けても痛みは消えない。
だってこれは胸と言うより、心の痛みだから。
本当に俺の言動は正しいのだろうか。
皆を突き放して、それでアッシュの記憶は取り戻せるのだろうか。
世界を、失いたくない人たちを助けられるのだろうか。
俺一人で出来るのだろうか。
「・・・無理だ」
俺は馬鹿で甘えたがり屋のガキだから。
一人でやろうと意気込んではいるものの、心の片隅では助けの手が差し伸べられることを期待してる
んだ。
そんな自分に嫌気が差す。
枕に顔を押し付けて、俺はここには居ない彼に想い馳せた。
「アッシュ・・・」
また、あの優しい温もりに抱かれたい。
大切な約束を交わしてくれた彼に、逢いたい。
大好きな彼の顔がどうしようもなく見たかった。
結局、故障したタルタロスを修理する為に進路を変更してケテルブルクに向かった。雪が舞う銀色の世
界をキシキシと音を鳴らしながら俺は最後尾を歩いてついて行く。ミュウが足下で寒いですの、冷たい
ですの〜とかミュウミュウ騒ぐから肩の上に乗せた。それが嬉しかったのか、ミュウが俺の頬に擦り寄
ってくる。ミュウにしてみれば愛情表現だったんだろうけど俺にしてみれば
「だぁー!リングが冷たてーんだよっ!!」
やっぱりウザイものはウザイ。
ネフリーさんの家に行って、ホテルに向かう。
部屋の割り振りは最初、俺だけが個室で後は男性陣と女性人に分かれるという振り分けだったけど、イ
オンが俺と一緒じゃなきゃ嫌だと珍しく主張したからその意見が通された(その時のガイとジェイドの視
線が怖かった)。大部屋に案内されて俺以外の三人がさっさと中へ入る。俺はドアの前で躊躇った後、
中に踏み込んだ。ガイはジャケットを脱いで椅子に腰掛けていた。ジェイドもガイの傍にあった椅子を引
いて座る。イオンは入り口に一番近いベッドに腰掛けて、突っ立ったままの俺を見て首を傾げた。
「どうしたんですか、ルーク。座らないんですか?」
「え・・・あ、俺は・・・・・・」
言い淀んで大人二人をちらりと窺うように見る。向こうもじっと俺を見ていた。
「し、暫く外出てくるわ」
ミュウ見ててくれ、イオンにミュウを投げてくるりと踵を返しイオンの静止の声を振り切って部屋を飛び
出した。
イオンは俺が居ても構わないって感じだけど、他の二人があからさまに嫌そうな目をしてるから(ぱっと
見じゃ解らない反応だろうけど、伊達に旅を一緒にして来ていた訳じゃないんだから俺には解った)部屋
を出てきた。別にジェイドとガイの二人に合わせたつもりではないんだけど・・・。流石にあのオーラを漂
わせた二人が居る中に俺は平然と居れる自信は無かった。正直かなり凹んでる。よりにもよってガイに
まであんな冷たくされると、頼りにするつもりは毛頭ないけど一番付き合いの長いガイだからなぁ。やっ
ぱりグサッと来るものがあるんだよ。ガイだしなあ。なんて事をつらつら考えながら俺はホテルの目の
前にあったベンチに座った。ベンチの上に脚も乗せてそれを抱える姿勢で座っている俺ってきっと端か
ら見たら何なんだあの今にもキノコが生えそうなオーラを纏った青年はとか思われているかもしれない。
どうせ俺は卑屈な事ばかり考えるウジウジ人間です。すいませんね。沈んだ気持ちのまま、はあぁぁと
魂まで零れ出しそうなくらい重い溜め息を吐いて、俺は膝頭に顔を埋めた。
それからどのくらい時間が経ったかは解らない。いつの間にか意識を手放していた俺はふっと人の気
配を感じてのろのろと顔を上げた。俺を見下ろす一人の人間がいた。
人の良さそうな笑みを浮かべて、格好良いの部類に入るだろう長身の男性。
茶色い髪に冴え渡る青空みたいな蒼い瞳。目の前に立つ男性は知らない人の筈なのに、何故か俺は
既視感に囚われて眉をひそめた。知らない筈なのに知っている感じがする不思議な雰囲気の男性は
にこにこ笑ったまま左手を唐突に差し出してきた。目をパチクリさせて俺は一度出された手へ視線を落
として、それから男性を見上げた。
「初めまして。セイルって言うんだ」
「・・・・・・」
いきなり自己紹介されても反応に困るんだけど。
戸惑う俺に、男性は何か気が付いたのかあぁ、と声を上げて
「別に怪しい者ではないから、安心してくれ」
再び笑顔で言う。俺は少し呆れてしまった。
見ず知らずの人に突然自己紹介されたら誰でも警戒の一つもすると思うんだけど。
と言うかこれナンパ?俺一応男なんですけど。
正体の掴めない感じだったけど、別に邪険にする気も無かったので未だ差し出されていた左手を握り
返した。
「俺はルーク」
名乗り返すと、セイルは嬉しそうに笑った。笑顔が絶えない人だな。
セイルは隣良いかなと言って俺がどうぞと返せば礼を言って隣に腰を下ろした。
一人きりじゃなくなったからベンチに乗せていた足を地面に下ろしてちゃんと座り直す。セイルは偉いな
何て言って純粋に褒めてくるので、それがちょっとくすぐったかった。
「この街には観光に?」
「いや・・・舟が故障して、修理する為に泊まってるだけ。セイルは?」
「んん、俺?俺は、そうだなあ・・・」
訊ねると、セイルは少し考えた後に
「ある人を助ける為にあちこちを旅してる、かな」
相変らず笑顔を湛えたままそう言った。
「へぇ・・・そうなんだ」
「あぁ」
素直にすごいなと感想を漏らせばセイルはまた律儀に礼を言ってきた。
俺はセイルと名乗る男性と会話をしながら既視感を抱いていたのに結局最後まで気が付かなかった。
近くに居れば居るほど気付かない。
それはまるで落とし穴。
イオンも優しい人なのです。そして『セイル』の正体は言
わずもがな。ルークは細い細い木の枝のようで、直ぐに
折れてしまいそうになってしまう。けれど必ず救世主は
現れるのだ!
・・・アッシュではありませんが;;
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04.11